シュタイナー教育を実践する幼稚園です

印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |



HOME > ぼっちの窓

幼稚園生活が始まり、早いものでもう三年が経ちます。
親子共々成長の日々でした。

送り迎えに慣れること、自主保育・運営について学ぶこと、シュタイナー教育について学ぶこと…
着いて行くのに必死だった一年目。
色々な面で迷い悩みながらも、愛息子と一緒に私自身が楽しめた二年目。
三年目、妊娠、出産、授乳と忙しい時期も、みなさんに大変お世話になり感謝感謝の一年間でした。

子育てに悩み、迷った時、吉田先生はいつも暖かく向き合って下さり『また子育て頑張ろう~』と前向きになれ、本当に感謝しています。
りんごさん(年長さん)になってからと言うもの、毎日のように愛息子は『吉田先生が大大大好き!』と言っています。
会話の中からゆめの木ぼっちでの様子がよーく伝わり、真剣に話しをしてくれる愛息子の目や笑顔が大好きです!
本当に吉田先生とゆめの木ぼっちが大好きなんだな・・・とほっこり嬉しい気持ちになります。
三年間、親子共々お世話になり本当にどうもありがとうございました!

四月からは小学一年生。
また新たな成長が楽しみです!
年長園児保護者 0

わたしが初めて、ゆめの木ぼっちを訪れてから早6年近くの月日が経とうとしているが、あの日から変わることなく、園舎は優しく、温かい光に包まれている。わたしはその光に導かれ、今住む地にやって来たのです。

もう、とにかく引越ししたい気持ちだったあの頃、今思うと、ぼっちと出会うためだったのだと深く考えさせられる。ぼっちと出会ってからは子育てでの孤独は感じなかった。吉田先生はじめ、ここに集う大人たちと共に子どもを育てているのだと感じられることが多く、わたし自身をも支えてもらえたことを心から感謝いたします。
皆さま、ありがとうございます。

これからはぼっちで得たものを何らかの形で、これまで出逢った人たちそして、これから出逢うであろう人たちに、わたしなりの形で還元できたら、わたし自身がより充実した、幸せな生き方ができるはずだと、そうなれたらといいなと想いめぐらせています。

年長園児保護者 T

「ママ、アリがカニさんを食べようとしている!」
登園前の忙しい朝、玄関の外で息子が叫んでいた。
この間死んでしまったカニを埋葬したのだが、雨で土が流れてしまい、
みつけたアリがご馳走とばかりに群がっていたのだろう。

「アリさんのご飯にしてあげたら?」
忙しい手を止めることなく、とっさに私は言った。
「でも、アリさんに食べられちゃったら、神様に修理してもらえなくなっちゃうよ。」

はっとした。そういえば、上の息子も同じ年のころ、掘り返してしまったカブトムシの残骸を見て
「天使さん、まだ連れて行ってくれないのかなぁ?」と言っていたな。
なんだか胸のあたりが温かくなった。

・・・・・
こどもには、神様も天使も本当にいるのだと思う。
ファンタジーの中で確かに存在している。
ぼっちのあの温かな空間にいると、神様も天使もこどもたちを見守ってくれている、と思わずにはいら
れない、

外へ出て、息子と一緒にもっと深く穴を掘り、カニを埋めた、
「ママ、ずっとずっと深く掘ったら、空まで行くの?」
「そうだね。お空に繋がってるね。」
そんなかわいらしいこと、いつまで言ってくれるのかな。
ゆめの中のこどもをありのまま守ってくれるぼっちに、感謝しながらそう思った。

「さあ、ぼっち行こうか。」
息子はいそいそとリュックを背負い、元気に車に乗り込んだ。 

もも組(年中)I

「ほたるを見に行く」

六月のある蒸し暑い土曜日、娘とほたるを見にいった。場所は、相模原の道保川公園。
まっ暗な公園の中。ほたるが飛び交うという場所がどこなのか、よくわからない。それでも、
「ほたるさんどーぞ、わたしにあかりをちょーだい・・・」
と歌いながら、人の後についてしばらく行くと、
ほたるが一匹、弱い光を放ちながら飛んでいるのがみえた。
 さらに、沢に渡された橋の上で、大勢の人が立ち止って歓声を上げている。
娘も、二匹、三匹、四匹、ぽーっ、ぽーっと黄色い光を見つけては、うれしいような、ふしぎなような
・・・
その光を捕まえようとあまりにも身を乗り出すので、今にも沢に落ちそうだ。
  あー、この暗闇ではほたるの姿形はわからないなーと思っていると、小学生の男の子たちが、捕まえ
たほたるを見せてくれた。
娘にとって、はじめてのほたる鑑賞の晩となった。

私の子どもの頃は、家の庭先で見れたのに。
ほたるの光を掌の中で楽しんだ後は、
「毒があるから、よく手を洗いなー」って言われたなあー

なんてことを思い出した。

今年の夕涼み会、娘はどんなほたるになるのかな。

もも組(年中)S

最近、息子が、かわいくて、たまらない。
それはもう、これまでにないくらい、ストレートに。
だからこそ、思った。これまでずっと、親ばかにさえなりきれないくらい、彼を近々に見すぎてきたんだなぁ…。
ありのままの彼を「観る」ことの大事さを、頭で重々承知しながらも、オヤの勝手な主観みたいなものを混じり込ませてきたんだなぁ…。

気づけば最早、手足も何もすらすらと伸びた「少年」な息子を前に、反省、しきりです。

でも実は、かわいくてたまらないのは彼だけでなくて、入園以来、日々の姿を、成長を垣間見させてくれている、ぼっちの子たち全員にいえることで。

彼らについて、一番素晴らしいと感じるのは、彼らが身にまとっている「愛されている光」「可愛がられているオーラ」だ。
昔読んだ、松井るり子さんの本に、こういう一文があった。
幼稚園から帰ってきた子どものまわりが、柔らかい光に、「愛されてきた光」とでもいうものに包まれている気がすると。

…泣きましたっけ、その光をおもって。

その光をまとっている子ども達を、毎日のお迎えで見られる今は、なんて幸せなんだろう・・・。

ありがとうございます。こんなに光あふれる時間で、温かい目で、寛い腕で、守り、包んでいただいて。

ぼっちの子ども達の「愛されている光」。
それぞれの、繊細だけど揺るぎない、ただ一人の純粋な自分自身へと、光の方へと、ただ真っ直ぐに伸びてゆこうとしている健やかさ。たくましさ。
それを見ると、誇らしくて、素晴らしくて、ジワッとする。
自分がシュタイナーに惹かれていた、求めていたものに、いまここで、出会っている。
そんな気がしきりにしている、りんご(年長)さんの春から夏です。

N.N. 年長園児・保護者


ぼっちのお迎えの時、園舎から出てくる子ども達の眩しいようなうれしいような、照れくさいような顔を見るのが大好きです。

子どもの夢見る力が消えてしまうとファンタジーが消えてしまい、ファンタジーが消え去るとこの世界が消え去る、と
ミヒャエル・エンデは語っているのですが、ぼっちで遊んで帰ってきた子ども達は、その夢見る力を十全に発散させて満ち足りているように見えます。
その瞳の輝きを見ると、ほっとします。

そして私自身が大人になって忘れかけていた匂い・光・時間は子どもと過ごすようになってからまたよみがえり、
ときには私自身が少女に戻って子ども達の世界にお邪魔させてもらったりして。

夢の世界を子どもと共有できるのは、ぼっちだからこそ!と思います。

Y.T. 園児・保護者